海に眠る財宝を求め冒険の旅を続ける男の海洋冒険ロマン。

昭和16年10月11日 日本帝国海軍 第6艦隊 第1潜水戦隊所属 潜水母艦 平安丸。

ミクロネシア連邦チューク州トラック環礁に沈む最大級の船。全長155.44m。

壁のような右舷でみたものは―

『平安丸 HEIAN MARU』の文字。

この平安丸は、戦後、横浜の山下公園に係留された氷川丸の姉妹船です。潜水母艦だった平安丸の行動は公に明らかにされていない。なので、現存する氷川丸で、平安丸が生きた時代に触れてみよう。

太平洋路線は日本とサンフランシスコ、シアトルを結ぶ路線があったが、アメリカの造船会社が次々と巨大な船を海原へ送り出すなか、日本には時代遅れの船しかなかった。

それから、日本も太平洋航路を重視することになり、12,000トン級の貨客船3隻(氷川丸、日枝丸、平安丸)を建造。その華やかさは世界の富豪船と遜色なかった。あの喜劇王チャップリンも氷川丸に乗船し、日本にやってきたという。

華やかなシアトル航路だったが、戦争の影が色濃くなった昭和16年、その航路は中止された。氷川丸は海軍に徴用され、病院船として利用されることとなる。

病院船は国際法で戦時中でも安全が保証されていた。灯火管制のもと極秘に夜間航海を行う戦艦たちを尻目に、
氷川丸は白い船体に緑のラインと赤十字マークを付け負傷した人々を救助するために大海原を駆ける。

戦争が終わる頃、氷川丸は日本に残る船の中で最大級の船となった。氷川丸に与えられた次の仕事は外地に残された人たちを戻す、引き揚げ船としての業務だった。
過酷な航海をつづけた氷川丸は昭和35年ついに引退することになる。解体されるか係留されるか議論されだが、横浜市民の強い陳情で、氷川丸は山下公園に係留、昭和36年から公開される。

人々が集う山下公園に身を置く氷川丸とは対象的に平安丸はひっそりとトラックの海に沈んでいる。
そして、2006年12月25日。氷川丸の公開が終了した。

クリスマスの人々が集う公園で、長いながい汽笛を3度鳴らし、氷川丸は人々に別れを告げた。戦争が運命を決めた姉妹船、氷川丸と平安丸。
彼女たちが歩んだ航路を私は忘れない。
今更だけど、氷川丸って公開されていたんだ(^_^;)
レストランとかウェディングの箱だけのイメージしかなかった。
氷川丸に申し訳ない。。。
これから氷川丸はどんな運命を辿るんだろう?
クィーンエリサベス号横浜寄港時に氷川丸初乗船でした。確か小学5.6年だったと思う。
その「氷川」という船名はあの川越で有名な氷川神社から授かったようです。そして「幸運船」と呼ばれてたから横浜で永久展示に!?ということだそう。氷川丸を訪れた方は幸運にあいましたかね?笑
■moriko
公開されていた氷川丸に乗船して、船内を探索すると当時の豪華客船の雰囲気が味わえたよ。
対照的にトラック環礁に沈む姉妹船の平安丸は、海の底ですこしずつ朽ち果てていってます。寂しいです。
■リキオウ さん
名前の由来にそんな経緯があったなんて知りませんでした!氷川神社か。いってみよう。
幸運は・・・いや特に。
■TAGO
多くの人々の記憶に残った氷川丸と人知れず海に沈んでいる平安丸。戦争が、姉妹の運命をかえたんですね。争うことへの警鐘としてこのような歴史を探索したいです。
はじめまして。
平安丸の文字を見て、ゾクッとしました。
そして、小さい頃から何度(数え切れません)も行き 慣れ親しんでいる横浜港に当たり前の様にいる氷川丸が 姉妹船だと言う事を初めて知りました。
全く違う運命だったのですね。
はじめまして、オレンジワープ さん
静かな海で時と共に自然に還っていく平安丸はどんな夢をみているのでしょうか。私たちの記憶に彼女たちが生きつづけることを願います。